鹿島神宮は東国最古のお社です。御祭神は武甕槌大神(タケミカヅチのおおかみ)。神世の昔、国譲りに功を為し、神武東征を支えた建国の神です。
江戸時代までは、「神宮」の尊称は伊勢と鹿島と香取の三社のみでした。そして、福島以北の崇敬者が伊勢神宮を参拝したのちは、鹿島・香取・息栖の下三社へ参ることが通例とされていました。この三社を東国三社といいます。
鹿島神宮の表参道にあたる大町通りを歩いていくと大きな鳥居が迎えてくれます。この鳥居は「西の二之鳥居」と呼びます。ここより西の北浦水上にも鳥居が立っていて、そこが「西の一之鳥居」になります。
東日本大震災によって前身の石鳥居が崩れ、平成26年(2014年)に境内の杉を用いた現在の大鳥居が建立されました。上部の笠木は600年の杉で、入るときに向かって左が太くなっています。また左右の端が斜めにカットされていることも鹿島鳥居の特徴です。
大鳥居をくぐり参道に沿って進みますと、赤い楼門が正面に見えます。1634年に初代水戸候徳川頼房が寄進したものです。頼房は従兄弟の将軍家光の病気平癒を祈願しそれが叶ったことを記念して造営したとのことです。頼房は水戸黄門の父になります。
鹿島神宮の楼門は、福岡の筥崎宮、熊本の阿蘇神社の楼門と並んで日本三大楼門に数えられています。(阿蘇神社の楼門は熊本地震で倒壊)
全体は丹塗りの朱色ですが、元々は白木造りだったようです。
楼門の手前左側に手水舎(てみずしゃ)があります。神社に入るとき、左右どちらから入るかの目安は手水舎の位置が参考になるようです。鹿島神宮の場合は手水舎が左にありますから、左側から入るのがよさそうです。
手水舎の横に鳥居が立ちっています。その正面には拝礼所があります。その先向かうところに坂戸神社、沼尾神社あります。この二社と鹿島神宮を合わせて「香島の天の大神」というくくりになり、鹿島の大神は実は大きな空間に在ることになります。二社へはここで拝礼したことになります。